NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

CH-1 プロフィール

中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

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 2回目の入院ということになりまして。えー、2回目の入院の時に、そのぐらいでしたかね。入院したのが、たぶん、平成2、3年頃だったと思います。えー、サラゾピリンからペンタサの古いやつですかね。古いタイプの…に変わっていたような時期だったと思いますけど。まぁ、薬も、まぁ、変わったり。
 あと、やはり、治療の主体は、あの、ステロイドによる治療というのをやっぱり受けまして。その時、2回目の入院で初めてIVHし、ここの鎖骨のほうからですかね。ラインを取って絶食状態。それで、あの、24時間の点滴。当然、まぁ、ご飯は食べれない。あの、口から、えーと、入れれるのは、まぁ、水分のみということで。まぁ、かなり辛い治療ですか。入院生活。その時は2、3ヶ月だったと思います。入院期間。2ヶ月ぐらいだと思います。
 あの、まぁ、1ヶ月ぐらいが、えーと、いわゆる絶食期間。そのあと、半月ぐらいは、まぁ、徐々に食事をアップしていって、あと最後の1週間ぐらいを自宅療養して、まぁ、その後、職場復帰してると。そんな感じだったと思いますけど。あの、その時に初めて、この病気って、どう言うんですか。再燃と寛解を繰り返す病気だというのをやはり痛感しました。知識として、この病気って、難病指定されてまだ原因がよく分からない。治らない病気ですよという風に主治医のほうから説明を受けていたんですけど、あ、もしかしたら、これ、状態も良いんで治ったんじゃないかと、自分としては、まぁ、思っていたところもあるんですけど。やはり、ちょっとビールを飲んだという、まぁ、トリガーがそれだったんだと思うんですけど、そういった不摂生によってですね、悪くなるというのを、ちょっと、その時に経験しまして。あ、難しい病気なんだと。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1

患者会はいわゆる、フェイストゥフェイスの活動であり、患者同士がきちんと顔と顔を付き合わせて話をしていく。これがやはり原点だと思っている。 CH1D5-1