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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたので、かみさんのお母さんが仕事を辞めて同居してくれ、子どもの面倒も見てくれた。 HK1D2-1

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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 はい。家族にはとても感謝しています。特に、まあ、あの、かみさんとそれから子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたんです、いたので、かみさんのお母さんが、仕事辞めて、それで同居してくれて、子どもの面倒も見てくれていたんですね。なので、あの、ま、病気であること以前に、われわれ夫婦を支えるために、ま、義理の母が非常に、その、仕事を辞めてまで、あの、われわれと生活を一緒にしてくれて、子どもの子育ての、かなりの部分を担ってくれたということが、一番大きいなと思っています。
 えー、あともう一つ感謝するとしたら、あの、特にうちのかみさんは、根掘り葉掘り病気の状況とかどうなのということを、ま、聞かないで、ある意味、こう突き放したような状態で、接してくれているということも、気苦労がないという意味では、感謝しています。ま、なので、今はこれだけ全国の同じ患者の人や患者会で知り合った人が、一緒に会えるような機会があるときには、え、かみさんも誘って、こんな人たちと自分は今友達になってるんだよと、病気になって知り合うことができたんだよということは、なるべく機会を設けたいなというふうに思っています。
 子どもとの関係では、子どもが育っていく過程の時に、3カ月とかっていう単位で抜けたりするわけですから、ま、寂しい思いをさせたなという、あの、思いはありますし。6回目の入院の時は、上の子どもが大学進学、下の子どもが高校進学の、え、時に重なりましたので、進路相談どうするかということは、病院に来てもらってしゃべった記憶があります。そういう意味じゃ、何らか、ま、子どもにも、あの、一緒に、接する機会が、大切なときに欠けてしまったかなという分は、ま、申し訳なかったなと思っています。

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この方の語り一覧

その病院でも初めて使う機械での内視鏡検査をやって、やっと潰瘍性大腸炎の診断が下った。 HK1A1-2

その時は、協力してくれた家族や職場のメンバーへの申し訳なさ、それから、自分はこれでほんとに仕事を辞めなきゃいけないんではないかとか、いろんなことを考えた。 HK1A2-1

最初の病院の主治医と、2回目の病院では主治医が2回替わったけれど、いずれもお医者さんと意見が合わないということは特になかった。HK1A3-1

再燃した時と基本薬であるペンタサにアレルギーが出た時は非常にショックだった。HK1A4-1

パルス療法というのはステロイドを100ミリとか500ミリという単位で点滴してそれを3日間続けるというものだった。 HK1B1-1

入院中に本が読めなくなって眼科に行ったら緑内障だとわかった。ステロイドの副作用だということ  HK1B1-2

最初はステロイドの大量投与で、その後はサラゾピリン、ペンタサと使ったが、絶食状態で退院してエレンタールだけで生活したこともあった  HK1B1D1

食事に関しては、やはり脂肪分などは控えていた HK1B2D1

今一定期間入院して手術をする、そのてんびんをかけたときに、まだ、あの、てんびんかけるほど手術を早急にやろうということでもないなということです。HK1C2-1

子どもが産まれた後に、かみさんも働いていたので、かみさんのお母さんが仕事を辞めて同居してくれ、子どもの面倒も見てくれた。 HK1D2-1

この病気が夫婦の性生活に与える影響はないと思うし、子供を作ることも無理ではない。 HK1D3-1

外勤がメーンの仕事だったのを、経理というまったく未知の分野を短期間で、吸収しなければいけないということで、つらい部分とうれしかった部分とあった。HK1D4-1

自分が患者会に、最初に求めたのは、転勤に伴ってどこの病院に行ったらいいのか、誰に診てもらったらいいのかを知りたいということだった。HK1D5-1