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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

最初は栄養士の言うことを聞いて肉類は一切食べなかったが、そのうち何を食べても悪くなる時は悪くなるんだと思うようになった KS2D1-1

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

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 初めは病院の先生というか栄養士の言うことを守っていて、退院してからも言われるようなものしか食べなかった。柔らかいものとか(食べて)、肉類は一切食べないし、キノコ類は食べないし、こんにゃくも食べないし。もう食べれないものばっかりで。主に食べてたんが、大好きだった蒸しパン。「蒸しパンはいいですよ。ただ、裏側にいろんな添加物があるから、添加物のない蒸しパンを食べて下さい」ということだったので、日々、蒸しパンとか食パンを食べたりとか、それもあまり添加物のないものを食べる。そういうのを1年間していたんですけども、
 それやってても結局腹痛とかなって、だんだんと普通に食べるようにして、しんどくても食べるようにしていたんですけども。家で食べるということは、子供がうちは女の子3人いるんですけども、やっぱり油っぽいものとか何でも食べさせてあげないといけないんで、僕の料理と2種類作らなければダメなんですよね。だから家内にもだいぶ食に関してはすごい苦労をかけたなと。だんだんと薄味になっていくようになって、子供らも家族全員がだんだん薄味で、あんまり油っぽいものが出なくなったと。2食作るんやったら1食でと。こちらもそれなりに今まで油っぽいものとか揚げ物とか拒否してたものがだんだん食べるようになっていったのと、そんなに先生の言うことを守らなくても自分の体調を維持できるやろうし、何を食べても悪くなるときは悪くなるんだという勝手な考えで、最初の頃はお酒も飲まなかったんだけども、だんだん飲むようになってきて、ストレス解消にまあいいだろうと。ひどくなるとやっぱり飲むことができないんで、それは自分自身で止めますけども、あまり悪くない時、本当は悪いのかもしれないけど、少量の下血ぐらいだったら飲んだりとかしています。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1