NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

トップ

潰瘍性大腸炎の語り

治らない病気になってしまったという思いが家族も落胆したが、徐々に「死ぬような病気じゃない」と思うようになった KS2D4-1

KS-2 プロフィール

診断時:43歳 インタビュー時:51歳(2012年3月)関西地方在住。鉄鋼関係の溶接業を父から受け継ぎ、大企業も相手に職人技の溶接を一人で行い、家族6人を養っている。少年期より下痢など腸の調子が悪く、2004年に重症化、大学病院でようやく潰瘍性大腸炎の診断を受ける。主としてステロイドで治療を行い、昨年よりレミケードを使用、レミケードの効能も現在、減弱傾向にある。医師から手術や入院を勧められるが、仕事の関係から拒否している

この人のプロフィールに戻る



 治らない病気になってしまったんだと、それならこれから生活はどうなっていくのか、家族はどうなっていくのか、もうすぐ死ぬんじゃないかと。そういったことが家族の頭によぎって、子供らでも、その時、発病した時は小さかったんですけども、「学校に行きたくない」とか、そのようなことがありました。お父さんはすごい重い病気になってしまった、で、治らない病気だと。内容がわからないんですよね。医者から言われたことを僕は家族に話したわけですけども、治らない病気になってしまったということを言うことによって、これから先どうなっていくんだという落胆的な家族の思い、知識がないからそうなるんですけども。そうなって食事とかがダメだと、あまりにも下痢がひどいから外に出られないと。そういうことで家族は、僕自身もそうですけど、すごく落胆、失望的な、将来に対して失望的な負の思考しか生まれてこないですね。何もかも悪くなっていくような気持ちがあったんですけども。
 そういった時も家族が支えて、なるようにしかならないからということで過ごしてきたわけですけども。だんだん内容的なことというか、知識というか、これはすぐに死ぬ病気じゃないんだと、死とかそういうことは関係ないんだからと、ただの身体の症状として付き合っていけるものなんだというふうにだんだんと変えるようになってから、家族もみんな普通の風邪的な、まあ風邪じゃないんだけども普通の病気と、長い病気だと思って付き合うようになって。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1