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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

最初の子供を妊娠して出産したその後半年くらいたったら、下痢とそれから血がはいってるのと、軟便みたいな感じで、それが1日に数回続いてた KT8A1-1

KT-8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 病気がわかったのは27歳の時です。最初の子供を妊娠して出産した後に、その後半年くらいたったら、ちょっと下痢とそれから血がはいってるのと、軟便みたいな感じで、それが1日に数回続いてたもんですから、職場の近くの病院に行って診てもらったら、これはちょっと大きい大学病院に行って調べてもらった方がいいっていうふうに言われました。そこで大学病院の方に行って診察を受けました。その時点で勿論検査ということになったんですけど、即もう潰瘍性大腸炎ということで言われました。
 私今62歳です。発病したのが27歳ですので、今から35,6年前ですので、まだまだ潰瘍性大腸炎という病気自体があまり一般的に知られていない時代でして、まだまだ患者数も少なかったんだと思います。で、そういうふうな時代の発病でしたので、今一つ難病ですと言われても実感もわかなかったし、あの何て言うかな、下痢は続いてたんですけど体自体はそれほど辛くて動けないとか、そういう状況はなかったもんですから、その時点も公務員として継続して勤めてはいました。そこからなんですけど、お薬ももらってそれで1カ月に1回くらい療休を取って通院をしてました。その時はまだそれほどひどくなることもなく、下痢等は続いていましたけども欠勤することもなく普通に勤めていました。で、ちょっとは症状が治まってきた頃に、第2子を妊娠し、そのまま第2子の方も無事に出産して、2児を抱えて勤めに出ていました。フルですので朝早く出て夕方帰ってくるような、で子供は二人保育園に預けてというような、そういうふうな生活をして勤務をしてました。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1