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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

難病であることを認めたくなくて、初めは特定疾患の申請もしなかったけれど、難病でも前向きに生活している人が居ることを知って、自分もそうしようと考えた QS4D2-1

QS-4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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Q:最初に診断されたのが19歳ぐらいということで、ご家族、お母さんは当然ショックを受けられたと思うんですけども、そのあとお母さんがどういうふうにあなたに接してくれたとか、逆にお母さんに対して、逆に気を遣ったこととかですね、そういう家族との関係と言うんですかね、お話しできる範囲で結構ですのでもしあればお話しいただけますか。
 私がこの病気になったのは19歳のときなんですが、そのときに母はやっぱりショックを受けていまして、やっぱり国の難病ということで大変な病気にかかってしまったということがやっぱり母の気持ちにはあったらしくて、で、初めはこの難病は国に申請すれば医療費とかがある程度、かなり負担してもらえるということなんですけど、やっぱり自分が難病であるということを認めてしまうのでそれは母親とか父親、親にとってはすごいショックだったらしくて、初めは難病じゃない、認めなくていいんじゃないかという考えがあって、初めは特定疾患の申請はしておりませんでした。
 やっぱり難病って認めてしまうと就職とか結婚とか今後の人生においてすごい影響が出るんじゃないかということを本当に心配していましたので、入院費とかも3割負担で初めはしていました。ただ、僕以外にも難病のこういう方がかなりいっぱいいると。で、かなり元気に生き生きと前向きに生活しているということも、母と僕もそうなんですけどこれから知ったので、やっぱり難病でもそういうことを自分に受け入れて、それで前向きに生きていくのが一番いいんじゃないかということを母と父とは話したんで、それから特定疾患の申請をして、自分が難病だというふうに国に認めてもらって医療費とか薬とかも補助していただけるふうにしていただきました。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1