NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

トップ

潰瘍性大腸炎の語り

手術をした後は子供がどんどん明るくなって、手術して正解だったと思っている KT7F1-4

KT-7 プロフィール

娘が患者。診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学2年生(2012年4月)関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。今では自分も娘も手術をして良かったと思っている。今は、娘と犬2匹と暮らしている。48歳。

この人のプロフィールに戻る


 あの、びくびくして、それまでっていうのは、どうやったらストレスを与えないかっていうのでびくびくして過ごしていた部分があったのが、やっぱりそれが無くなった。でも手術は2回に分けてやったんですよね。それで1回目の手術では人工肛門を着けさせて頂いて、でその人工肛門の付け方とかを二人で学ぶ間に、親子っていうよりは友達に近い状態が作れたので、すごい大変いい雰囲気、今までよりすごいいい雰囲気になってきたのは確かですね。で人工肛門から普通の、小腸と肛門をくっつける手術をしていただいた後っていうのは、本当、本人はちょっとやっぱり最初は大変だったんですけれど、1年たって2年たって、そしたらどんどんやっぱり明るくなってくるんですね。
 でその間に親も色々考えないといけないなと思って、少しずつ少しずつですね、問題提起をしていってどうしたらいいのかなっていうんで、最初はやっぱり病院とかも親が不安で付いて行ってたんですけど、そうですね手術が終わって半年くらいからは本当に重要なハンコのいる時以外は、先生とマンツーマンで会う方が自分の意見とかが言えるんじゃないのかなと考えまして、一人で行かすようにやってみたりしたので、すごい明るくなりましたね、すごい。今まではすごい病気におびえてたみたいなところがあったんですが、一人で電車にも乗れないぐらい怯える生活をしていたのに、すごい明るくなったのが私にとってはいい方向にすすんでいただいたかなと思います。最初は私も泣いて過ごしたんですね、すごい、いつ見てもあなたは泣いているねって言われるくらい泣いていて、それがやっぱりどんどん病気のことを勉強もしましたし、色んな人に聞くこともしましたけど、やっぱりその過程で、子供もやっぱりどんどんどんどん勉強するし、同じくらいのお友達が入院してたら、その子とお友達になることによって自分の病気への理解も深まったし、その子たちとメールをすることによっていい方向へ進んでいってくれたので、私は手術して正解だったかなと今思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1