NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

トップ

潰瘍性大腸炎の語り

25で結婚してなかなか子どもが出来なかった。29で一度流産をし、次に子どもが出来た時は嬉しいより恐怖心が大きかった。 QS1D3-2

QS-1 プロフィール

九州地方在住 49歳 女性 潰瘍性大腸炎全大腸型 発症23歳看護師 仕事は非常勤 現在は夫と夫の両親との4人暮らし。

この人のプロフィールに戻る


 25で結婚しまして、なかなか子供ができなかったんですね。ずっと体調も悪く、1年中下血して、下痢をしてお腹が痛くて、それが程度が軽いか重いかだけの違いで、ずっと調子が悪かったんで、それで子供がずっとできなくて、29の時に一度流産をしているんですね。その時ものすごく精神的に参ってしまって、でもう私は幸せになれないんだってその時は本当に、普通の人の幸せは私にはもう来ないんだっていうふうに、その時は本当に精神的に参ってしまって、でそのさなかに次の、今の娘を妊娠したんですね。
 なので、うれしいよりは怖くてですね、今度この子を無くしたら私は生きていけないって思って、そっちの恐怖心の方がすごく大きかったのを覚えています。で、妊娠中にも体調を崩してですね、丁度つわりの時期に本当にもどしているときに調子を崩して、もどして下痢をするもんだからものすごく体重が落ちてしまってですね、主治医がすごい心配をして、赤ちゃんに栄養が行かなくなるんじゃないかって心配をして、入院しなさいって言われて、その時はそうですね40日くらいですかね、1カ月ちょっと入院したと思います。でなんとか体調が良くなって、つわりが良くなると同時に体調が安定し出したんです。
 それで妊娠中は、その後は体調的には安定した時期が続きました。ただ、お腹の子供にちょっと異常があるんじゃないかって言われていて、私はそれまでの病気が治療がうまくいかなかったりとか、何かをしようと思うと病気が悪くなったりとか、その繰り返しだったので、またかと思ったんです。またかと思って、子供に何かあると言われてまたかと思って、本当に生まれるが生まれるまで、うれしいとか楽しみだとかそういう気持ちになれなくて、ただ子供に何かあるんじゃないかと、不幸が襲うんじゃないかと、そういうことばかり考えていたような気がします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1