NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

トップ

潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール CH1

CH-1 プロフィール

中国地方在住。長年にわたり内科治療を受けながら会社の仕事も続けている。ステロイドの副作用もでているが、まだ手術までには至っていない。患者会の仕事も精力的に行っている。家族構成は妻と二人暮らし。

この人の語りを見る

 25年ほど前、職場が変わって現場から事務職になり、人間関係でも悩むところがあったころに発病した。最初は下痢から始まったが出血がみられるようになり、1ヶ月くらいたった頃には相当重症になって、最初は近くの個人病院に行ったが、病状が改善しなかったので総合病院に行ったらそのまま入院で、すぐに潰瘍性大腸炎の診断がついた。その時は1ヵ月半で退院できたが、平成2-3年頃に最初の再燃で2度目の入院。この時は2カ月の入院で、1ヶ月は絶食で点滴のみという状態で、この時初めて、この病気が再燃と寛解を繰り返す病気だということを痛感した。
 3回目の入院はそれからまた3-4年後だったが、きっかけは梨狩りで梨を3つ4つ食べた後、2-3日くらいで大量下血となった。この時から重症化するようになり、40度近くの熱が2カ月くらい続いたときにはもう死ぬんじゃないかと感じたこともあった。この時にはまた外科手術も選択肢の一つとして考えるようになったが、やはり寛解期になると、便も1日1回の普通便となり健常者と同じ生活ができるということもあり、手術は躊躇してしまう。5回目の入院をした頃にはステロイドの副作用だと思われる突発性大腿骨骨頭壊死症という病気になってしまい、大好きだったテニスやゴルフなどの運動もできなくなった。先生に相談したら大腿骨に負担をかけない運動として自転車と水泳がいいと言われたので、そういった運動をするようになった。
 仕事に関しては、発病前から勤めていた会社に現在まで勤務しているが、発病後は通院の時間を取ってもらうなど、会社には多くの配慮をしてもらい、とても感謝している。
 また、13年ほど前に広島で患者会を立ち上げた。最近はインターネットで病気の情報は入手できるが、中にはいかがわしいものもあり、やはり患者同士がきちんと顔と顔を突き合わせて話をするのが原点だと思うのでこれからも継続していきたいと思っている。

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1

患者会はいわゆる、フェイストゥフェイスの活動であり、患者同士がきちんと顔と顔を付き合わせて話をしていく。これがやはり原点だと思っている。 CH1D5-1