NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール KT6

KT6 プロフィール

診断時:10歳 インタビュー時:14歳 中学3年生(2012年4月)
関東地方在住。内科治療を色々試したが、どれも効果がなく中学1年の時に大腸全摘の手術を行った。手術をして良かったと思っている。また、自分の体験を多くの同じ病気の人に知ってもらいたいとも思っている。今は、母と犬2匹と暮らしている。

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 小学校4年の時に、何度もお腹が痛くなって、検査をしたら潰瘍性大腸炎だということがわかった。普段から食事には気を着け、色々な内科治療もしたが悪化することが度々あって何度も入院した。
 入院すると絶食で点滴になるが、絶食はとてもつらかった。内科治療としては、漢方、ペンタサ、プレドニン、イムラン、などの内服薬のほか白血球除去療法もやった。そしてどれも最初は効いたが、だんだん効かなくなった。
 それでも小学校のころは、お腹に傷を付けるのがいやで手術を拒否していたが、中学1年の時「とにかく早く楽になりたい」という思いで手術をすることに決めた。手術は2回に分けて行い、1回目で大腸を全摘しストーマを作った。2回目の手術は痛いのが分かっていたので、手術はいやだといってわめいたこともあったが、「まだ若いんだからストーマを外して歩いたほうがいいんじゃないの」と言われてストーマを外すことを決意した。
 今では手術したことで、以前のようにたくさんの薬を飲むこともなくなったし、プレドニンの副作用で顔がまん丸になることなどの心配もなくなり、何より気持ちが楽で、明るくなって色んなところにも出かけられるようになり、手術をしてよかったなと思っている。
 手術の後、運動会や修学旅行などの学校行事に参加したくて、今年の4月に一般の学校の一般のクラスに転校した。運動会も修学旅行もとても大変だったけれど、なんとかやり通すことができたのは自分にとって少し自信になったかなと思う。しかし同時に自分の病気のことを友達に正しく伝えることの難しさをも実感しているが、今楽しく生活している。

この方の語り一覧

転校した当時、環境の変化もあり、頑張りすぎちゃってお腹が痛くなった KT6A1-2

最初に難病って言う言葉を聞いた時はもうすぐ死んじゃうのかと思った KT6A2-1

看護師さんにはどの病院でも、いつ入院してもとても優しく接してもらった。 KT6A3-1

プレドニンを使っているときは写真を撮るのがいやだった KT6B1-1

とにかく早く楽になりたいという思いで手術をした。 KT6C1-1

最初は絶対に手術はしないぞという思いだったが、最終的には自分で手術をすることを決めた。 KT6C1-2

2回目の手術は1回目で痛いのが分かっていたので、「このまま帰る」ってわがまま言っていた KT6C1-3

術後便の回数は7回くらいだけど我慢できるようになったので特急にも乗れるようになった KT6C4-1

手術の傷跡はやっぱり気になる。特にみんなでお風呂に入る時は KT6C4-2

給食でみんながカレーを食べているときに自分は野菜スープだった時はため息しかでなかった。 KT6D1-1

最初は両親が病気のことを隠していたが、結局言わないと治療が進められないということで、聞くようになった KT6D2-1

友達に自分の病気のことを話すのは難しいけど、これからはできるだけ多くに人に伝えなきゃと思っている KT6D4-1

ストマの時は学校でたびたびトイレに行くのは辛かったが、カードを作ってもらって助かった。 KT6D4-3

自分の病気が間違った形で伝わってしまい、余命宣告されたことになってしまっていた。 KT6D4-4

病気はもう自分の一部になっているので、何をするにもそのことを頭に入れながらしなければならない KT6D4-5

病気のお陰で人との縁がすごい広がっている。そういうのが大好きなんです。 KT6D6-2