NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール KT8

KT8 プロフィール

診断時27歳、インタビュー時62歳(2012年9月23日)関東地方在住。
15年間の内科治療の後、全摘手術をしたが、その後何度も腸閉そくを起こし、最後は繋ぎ目のところが壊死をしてしまい、緊急手術もした。それでも大腸全摘手術をしたおかげで、公務員としての仕事を定年までまっとうすることができた。現在夫と子供二人の4人暮らし。

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 第1子の出産半年後に発病する。内科治療を続けながら仕事をし第2子も出産した。しかし第3子を妊娠した時に流産したのがきっかけに病気も悪化し、腰やひざの関節炎や足に潰瘍ができたり、ひどい頭痛に悩まされたりなどの合併症も出てきて、長期の入院を何度もした。
 ステロイドを中心にした15年間に及ぶ内科治療で改善が見られなかったこともあり、1991年、大学病院の外科への転科をきっかけに手術を決意した。手術後は頻繁におこる腸閉そくに悩まされ、2010年には大腸を全摘したところの繋ぎ目が壊死して緊急手術をした。その間に胆のう炎を起こし、胆のう摘出手術も行った。
 発病してからも二人の子供を抱えながらフルタイムの仕事をしてきた。その間1年半にも及ぶ長期入院を含め何度も入退院を繰り返したために、職場や家族に迷惑をかけてきたが、公立高校の教師という恵まれた職場であったことや、夫の母親が子供の面倒を見てくれたり、夫も育児や家事を手伝ってくれたりしたので、なんとかやり通すことができた。
 大腸の全摘手術をした後は、頻繁に腸閉そくを起こしてきたが、それでも関節炎やひどい頭痛などの合併症も出なくなり、またトイレの回数は1日10回程度と多いが、手術前のようにどうしても我慢できないようなことはなく、生活の質(QOL)は大きく改善している。
 若くて発病する人たち、特に未婚の女性はこれから結婚や出産のことで不安が一杯だと思う。そういう人たちに病気を抱えながら子供を産んで育て、仕事もし、定年退職後はスポーツを楽しむ生活を送っていますということを伝えたいと思ったので、自分の病歴のことを話すことにした。

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1