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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

2回目の手術の後と3回目の手術の後に腸閉塞をおこして、これが結構苦しかった。 KT1C4-2

KT-1 プロフィール

診断時49歳、インタビュー時59歳。関東地方在住。
劇症型だったため発病から1年後に全摘手術。術後1年は大変だったがその後は順調。仕事は事務職のサラリーマン。女房と子供が二人。

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 2回目の手術のあとは、この時は、腸閉塞をおこして、これが結構苦しかったですね。2週間ぐらいかかったと思うんですけれども。やはり、手術の回数が増えると癒着も多くなるらしいんですね。ですから、1回目の時は何にもなかったんですけれども、2回目の時に腸閉塞おこして。これ、2週間ぐらい、結構、苦しい思いをしたんですけれども。3回目の時も、やはり腸閉塞をおこしまして。これが、術後ちょっと苦しかったですね。2回目の時も人工肛門にしたので同じ状況だったんですけれども、最後に直腸とつないで自然排泄ができるようになって、このあとが、ちょっと苦しい時期がありました。というのは、便がなかなか上手く出ないんですね。どういう構造になってるのかはちょっとよくわからないんですが、とにかく、便が出そうな感覚はあるんですけれども、トイレに行ってもなかなかスッと出ないんですね。ちょっとしか出ないんですね。で、トイレから出てくるとまた行きたくなる。で、我慢していると、やっぱりちょっと漏れてしまうような状況で。もうそのトイレの回数としては、もう1日にそれこそ30回、40回。殆ど、もう、トイレから5~6メーターぐらいしか離れられない。
 24時間、トイレにへばりついているみたいな状況が3ヶ月ぐらい続きましたかね。それで、もちろん、その間に病院行って色々検査をしてもらったり、それから、肛門括約筋の訓練をしたりとか、それから、もう、鍼とか灸とか、鍼の先生のとこも行って、鍼打ってもらったりとか、色んなことしました。結局、時間ですかね。時間の経過とともに、やはり、手術したあとが上手く適応してきたんですかね。だんだん、便の回数が少なくなってきて、便が割とスッと出るようになって、回数が少なくなってきて。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1