NPO法人 IBDネットワーク

このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

語って頂いた方のプロフィール QS4

QS4 プロフィール

九州地方在住。10年前、19歳で大学浪人している時に発症し、なかなか診断がつかず大変な思いをして大学に入学。その後就職してからは寛解状態が続いていたが2014年の1月に再燃し、現在は食事も制限しているが、前向きに生きている。独身で一人暮らし。

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 最初は下痢が続いてだんだんひどくなって、1日に4~5回くらいになったので病院に行ったが、受験のストレスだといわれて下痢止めを処方されてだけだった。その後も下痢が止まらず何か所か大きな病院にも行ったがなかなか診断がつかず、最後に行った個人病院でやっと内視鏡検査をして潰瘍性大腸炎との診断がついた。
 そのまま入院してステロイドなどの治療で2か月かかってやっと退院することができた。しかしその年の大学受験は失敗して次の年にやっと大学に入学した。大学生活では飲み会も多く食生活がだいぶ荒れたけれどそのころは再燃することもなく就職もすることができた。
 就職のときには病気のことは正直に話していたので、たまに調子が悪くて仕事中何度かトイレに行くときも、上司の理解があって特に問題なく仕事ができている。しかし仕事によってはすぐにトイレにいけないような人もいるだろうから、この病気はそういう人にとっては大変だと思う。
 最初の入院以降は寛解状態が続いており、少し調子が悪くなることはあっても入院はしたことはなかったが、今年の1月ころから調子が悪くなり、劇的に悪いわけではないが病気の活動期に入ってきたのかなと思う。なので、最近は食事もおかゆが中心でここ2か月はラーメンとか肉とかは全く食べていないし、お酒も飲んでいない。おかげで体重も3~4キロぐらい落ちてしまったが栄養補助食品などでエネルギーを補給している。
 最初にこの病気の診断を受けた時は両親も大変なショックを受けて、難病だということを認めたくなくて、特定疾患の申請もしていなかった。難病だということを認めてしまうと、就職とか結婚とか今後の人生に大きな影響が出るのではないかと心配してのことだった。でもその後、難病でも元気に生き生きと前向きに生活している人がたくさんいるということがわかり、それから自分も難病であることを受け入れ特定疾患の申請をするようになった。今はまだ独身だがいずれ病気のことを理解してくれる人と結婚して子供も作りたいと思っている。

この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1