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このサイトは潰瘍性大腸炎とクローン病の患者会の全国組織である、NPO法人IBDネットワークがNPO法人健康と病いの語りディペックスジャパンの許可を得て作成したものです

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潰瘍性大腸炎の語り

最初はステロイドの大量投与で、その後はサラゾピリン、ペンタサと使ったが、絶食状態で退院してエレンタールだけで生活したこともあった  HK1B1D1

HK-1 プロフィール

診断時:29歳 インタビュー時:53歳(2012年11月)北海道地方在住。トイレが頻回になって出血もあり、痔かと思って病院に行ったら即入院となり、潰瘍性大腸炎(UC)と診断された。以来さまざまな内科治療を経験し、入院も通算7回を数えている。手術も考えたことがあるが、まだしていない。家族は妻と成人した子供が二人。

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Q:何回も入院されたということなんですけれども、その間のですね、その、内科治療をずっと続けてこられたということですけれども、その内科治療の、ま、どんな薬を飲んだとかあるいは、どういう治療をされてこられたとか、その辺のところちょっとお話しいただけますか。
 はい。最初は基本ステロイドでした。ステロイドの、大量投与で、まず寛解状態に持っていっていただいた。その後は、当時はサラゾピリンだったと思います、サラゾピリンを処方されて飲んでいました。ステロイドはその時で切れてると思います。ただ、あの、甘く見ていた部分もあって、かなり薬はサボっていました。で、定期的にもらいに行く分で、だいぶ余っていったという記憶はあります。
 サラゾピリンの後に、ペンタサが出てきたときにペンタサに切り替えた。だから通院してるときは基本ペンタサでやっていました。何回目かの入院の時に入院期間が3カ月以上になって、絶食状態だったんですけれども、職場に復職しないと仕事のバランスが取れないということがあって、絶食状態のまま退院したことがあります。ま、その時にエレンタールを処方してもらって、えー、エレンタールのみですね、食事は食べずにエレンタール1日8包、で、経鼻でそのうち5包落とすと、という生活を3カ月ぐらいしました。その後、経鼻はなくなったんですけれども、基本はエレンタールを飲むと、朝食事で夜軽い食事、で、エレンタールを3包ないし4包飲むっていう生活を、年の単位で続けていました。
Q:あの、経鼻というのは、鼻から管を入れるということですか。
 そうですね。あの、鼻から管を入れて、モーターで機械的に送ってもらうということです。あの、とても寒い所なので、あの、夜落としていると、朝方、その鼻から通っていく管の冷たさで、何度も目が覚めてしまったり、結構それは、寝不足になったなという記憶があります。

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この方の語り一覧

会社の人事異動で管理部門になり、人間関係で悩んだのが発病の引き金になったのかなと思う。 CH1A1-1

個人病院に行ってもなかなか診断がつかず、総合病院に行き、大腸の検査をしたところ、大腸の左側に炎症があり、そこでUCの診断がついた。CH1A1-2

4,5年の周期で主治医が変わっている状態なので、なかなか信頼関係というのは、難しいところはあるが、みなさんIBDの専門医なので相互理解はできている CH1A3-1

平成2~3年ごろ、2回目の入院。治療の主体は、ステロイドで、IVH(中心静脈栄養)だけで絶食というのが1ヶ月続きかなりつらかった。その時初めて難しい病気なんだと思った。 CH1B1-1

平成12年ころに大腿骨頭壊死という足の骨の病気になって、手術をした。原因はよくわからないがステロイドの大量摂取かもしれない。 CH1B1-3

ステロイドは累積で約15,000ミリグラムくらいまで行っているので今はもうやめている。 CH1B1-4

寛解になってくると医者も手術は勧めることができない。相対的適応では手術を決断するのはなかなか難しい。 CH1C2-1

当初食事に関しては、低脂肪低残渣が過度に徹底されていたが、スポーツは適度に行っていた。CH1D1-1

潰瘍性大腸炎患者でない両親に病状が悪い時には少しあたったりする。しかし妻は同病なのでそのあたりはあうんの関係。 CH1D2-1

仕事を継続するためにはやはり職場の理解というのが必要で、今の職場ではサポート体制も取ってもらってます。上司に対しても、体調というのは逐次報告して通院の配慮もしてもらえる。 CH1D4-1